【外国人いい話】“故郷”日本で逝く哲学者ヘルツェンさん

名古屋外国人のいい話
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866: おさかなくわえた名無しさん 2009/06/05(金) 14:49:10 ID:iywZf74e

“故郷”日本で逝く 元名大客員教授、哲学者ヘルツェンさん

ニッポン愛 最期まで

五月八日夕方、南区のコンビニのトイレ前で

外国人の男性が倒れているのを店員が見つけた。
病院に運ばれたが、心不全で亡くなった。
同区城下町に一人で暮らしていたヘルツェンさんだった。
元妻のベラ・バーゲルマンさん(七五)と次女クラウディアさん(四一)が

来日した。二十三日には、親しい人が集まり「送る会」が開かれた。
ヘルツェンさんは一九五七年、

ドイツの哲学者ハイデッカーの弟子カール・レーヴィットの紹介で来日し、
東北大で七年間、哲学やドイツ文学を教え、六四年に名古屋に。
定年までの約三十年間、名古屋大で教えた。
家に帰ると、夏場は浴衣を着た。

うちわであおぎ「これが一番落ち着く」と話した。
銭湯が好きで、数が減ったことを憂えていた。

家の近くの居酒屋に足しげく通った。娘二人は名古屋生まれ。
長女ユリアさん(四三)は「愛子」、
クラウディアさんは「陽子」と日本名をつけた。
教育のため、七四年に家族がドイツに移った時も一人、
「日本で教えたい」と残った。
大学では熱心な研究者であり、優れた教師でもあった。

「ニーチェやハイネを教える時に、自分の解釈を話してくれたことが新鮮だった。
退官後も勉強し続けていた」と土屋教授は思い出す。
従軍経験があり、平和を愛する人でもあった。
ヘルツェンさんが亡くなった六日後、ユリアさんが女の子を産んだ。

ベラさんらは、命のつながりを感じた。
陽気で、ユーモアのある父親だった。

「畳の上で一緒に寝転がってよく話をしてくれました」とクラウディアさん。
亡くなる一週間前、電話で帰国を勧めたのが最後の会話となった。
このときもヘルツェンさんは日本に残ることを望んだ。
「父にとって日本は故郷なんです。日本で亡くなったのは本望だったと思います」

引用元: https://changi.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1243033247/

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